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2010.05.25 (Tue)

5月25日発売の『週刊朝日』に桑原史成さんの写真が

5月25日発売の『週刊朝日』に、水俣病の写真で有名な、写真家・桑原史成さんの写真が掲載されます。

『週刊朝日』の公式ページにある5月25日号の目次には、
 写真家・桑原史成が撮った 水俣の50年
とありますね!

撮影が行われた5月1日の夕方には、
朝日新聞が、桑原さんの水俣での撮影について記事にしています。

水俣、撮り続けて半世紀 患者ら一堂「凝縮の1枚」

1日午前、水俣病犠牲者慰霊式の開式を控えた熊本県水俣市の会場近く。1人のカメラマンが、患者や遺族ら37人の集合写真を撮影していた。桑原史成(くわばら・しせい)さん(73)。水俣病の惨禍をフィルムに焼き付け、いち早く世に訴えた報道写真家だ。通い始めて50年目の今、「ミナマタの半世紀を凝縮した1枚を」とシャッターを切る。

 海沿いの撮影場所に、つえをついたお年寄りや車いすの胎児性患者らが集まった。かつて桑原さんの被写体となった人やその遺族たちだ。それぞれ、ゆかりの写真を手にして並ぶ。患者の支援を続けてきた水俣病市民会議の会長、日吉フミコさん(95)や、被害者の掘り起こしに努めてきた医師、原田正純さん(75)の姿もある。

 「過去に例がない」という患者らの集合写真の撮影に、桑原さんは「水俣を分断してきた枠を取り払いたい」との思いを込める。(以下略)


外部から水俣を見ている私でさえ、水俣病事件によって分断された関係が、今日まで続いていることは否定できません。

関係がこじれていないとしても、このような桑原さんの呼びかけがなければ、同じ場所に集まることはなかったのではないか、と思えるような嬉しい再会、複雑な再会が撮影現場ではあったように思います。

「記録する」という写真の役目は、
今回は、人と人を結ぶ・・・という役目も果たしたようでした。

青い空と、青い海の広がる不知火海に面した港で、
かつて桑原さんの被写体となった方々が、当時撮影された写真を手にもって並ぶ写真が撮影されたのでした。

その間(10分弱)、石川さゆりさんの歌う演歌が、CDラジカセから流れていました。

20100501_1.jpg

撮影は、なんと、トラックの上から!
右から、桑原史成さん、同じく、水俣を撮影された写真家・小柴一良さん、週刊朝日のカメラマンの方。と、桑原さんからお聞きしております。
20100501_2.jpg



* * *

桑原さんにお聞きしました。

水俣病の最初の出会いは、『週刊朝日』だったそうです。

東京から実家のある島根に帰る新幹線に乗る際、友人がくれた雑誌が『週刊朝日』だったのですが、その号に、水俣病を取り上げた記事があり、桑原さんは「(自分が撮るべきものは)これだ!」と思ったのだそうです。
桑原さんの人生に、『週刊朝日』が大きな影響を与えていたのです。

今回撮影するにあたって、水俣には数日前に現地入りし、5月1日の撮影のお願いについて、一件一件、訪問されたそうです。

私はつい、「電話で事前に連絡をとることはされなかったのでしょうか?」
と聞いてしまいました。
桑原さんは笑顔で、「耳の遠い人に、電話ではお願いできないんですよ」と。

私の想像力の至らなさをモロに実感。(涙)
自分の質問の浅はかさに、一気に恥ずかしくなりました。

桑原さんの素晴らしい写真が、『週刊朝日』に掲載されているはずです!


  


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